母親にもっと褒めてもらいたかった|母との会話で私が感じたこと・気づいたこと

先日実家に帰っている時に久しぶりに母と会話をしました。

その日の母との会話は姉の子供が勉強を頑張っていることや字が丁寧でキレイなこと、私の妹は仕事を頑張っていて最近は職場でも評価されるようになってきたことなど。

文章で説明するのが難しいんですが、私の母は頑張っていること、秀でてる部分、世間から評価される部分を特に褒めることが多いです。

普通の出来では褒めてくれない。

そのくせ出来ていないことは言い続けてくる人でした。

私は3人姉妹の真ん中ですが、小さい頃は姉と比較されることが多かったし、仕事で忙しい母は私と姉を母の実家(祖母宅)に預けて仕事中心の生活でした。

姉は12歳、私は9歳まで祖母の家で育てられていて父母と会うのは平日の夜1回と週末くらい。

母なりに私と姉のことを気にかけてくれたとは思うけど、子供の私は母に心を開ききれず、コミュニケーションも一緒に過ごす時間も他の親子に比べて少なかったので苦しい幼少期でした。

不安な時も、困った時も、寂しい時も思いっきり頼れる存在がないし、逆に嬉しい時に一緒に思いっきり喜んでくれる存在もいませんでした。

もちろん祖父母も姉も一緒だったけど、姉は姉で私と同じような心境だっただろうし、祖父母は私たちの育児と自分達の日常で忙しそうでした。

「母」の役割を母意外には求められませんでした。

大人になった今は仕事で忙しかった母の状況が想像できるので、当時の母に理解を示せる部分があるけど、今でも幼少期の孤独な不安な気持ちは消えてはいません。

ふとした時に蘇るのです。

母が姉や妹を褒めた時
妹の活躍することを延々と話す時…

特別いい子ではないけど、もっと私のことも褒めてほしかったな…

熱心に妹の話ばかりで、目の前にいるのは私なんだけど…

久しぶりに会う私よりもほぼ毎日会ってる妹の方に夢中過ぎない?

年上の姉の子と私の子供達を比較してくるとは…

っていうか頑張った時しか褒めないとか、しんどいわ!

などなど、子供の頃の苦しさが大人になった今でも蘇ることがあります。

きっと母に褒められた記憶が少ないから。

そして一緒に過ごした時間も少ないし、ましてや二人きりで甘えれるような時間を過ごした記憶もないし…

と、考えすぎると母に対する不満が大きくなってしまうので、幼かった頃の苦しい自分のためにも母として私は自分の子供達に同じ苦しい気持ちを作らないようにしたいと思います^^

母親の私が我が子達に思いっきりしたいこと

大きくなって母親に甘えにくくなってしまっても母親の存在は大きいです。

あの頃こうして欲しかったのに…

もっと褒めてほしかった。

泣いてる時はなだめてほしかった。

世間体を気にしていい子を要求せずに、ありのままの私でもよしとして欲しかった。

などなど子供の心に同じような隙間を作りたくないので、私が母として特に大切にすることをまとめました。

ありのままの子供を肯定する

ピアノが上手に弾けた、

とか

幼稚園の発表会で頑張れた、

とか目に見えて努力していることを褒めることも大切ですが、そういう時ばかり褒めていたら、

「ママは結果を出さないと褒めてくれない」

と子供は無理して頑張り続けてしまいそう。

なので、本人が意識して頑張っていない時でも、言葉と笑顔でいっぱい褒めてあげたいです^^

「お弁当、苦手なおかずもちょこっとは食べたのね、頑張ったね」

「お手伝いしてくれたのね、ありがとう」

「上手にできなくても大丈夫よ、いっぱい頑張れてスゴイね」

などなど、子供の自然な姿や子供なりに前向きな部分、頑張っていることに自分で気づいていないような部分に気づいてできるだけ褒めてあげたいです。

そういう些細な部分を褒めるだけでも、「ママは自分のことをちゃんとみてくれてるんだ」ってうれしくなるんじゃないかな。

子供の心に寄り添う

娘は6歳、息子は4歳なんですが、人生経験はまだまだ少ないです。

自分達が思うようにできないことも、自分の気持ちをコントロールすることも下手で駄々をこねたり泣いたりすることもいっぱい。

そんな時も幼い子供達なりに問題を向き合っている、という子供達の目線に合わせて私も寄り添いたいです。

成長するにつれて子供たちなりに色んな苦労をすると思うけど、「私(僕)にはお母さんがいる」という心のよりどころになりたいなと思います^^

「寄り添う」って言葉にするのは簡単だけど、具体的には

・その時の子供達の表情や気持ちをそのまま受け止める
・子供達の気持ちに共感する
・喜怒哀楽を共にする

などでしょうか。

「それは違うよ」とついつい諭したくなることもあるけど、まずは子供達の心をそのまま受け止めてからですね。

いつも100%寄り添うことは難しいけど、出来る限り寄り添うつもりです^^

子供達の話を聞く

毎日あれこれと忙しいけど、子供が話し始めたら出来る限り聞くようにしています。

時間がなかったり忙しい時は「後でね」ってその場では聞けないけど、後からちょっとでも時間を作って聞くようにしています。

「ママに」聞いてほしいって思って話をしてくれているということは、それだけママに心を開いているという証拠です。

幼稚園での出来事でも、自分の気持ちでもどんなことでも子供が話をしたいことはそれだけ子供にとって大切なことなので、しっかり耳を傾けたいなと思います。

子供への愛情はきちんと表現しないと伝わらない

お腹にいた頃から毎日一緒で愛情を注いで大切に育てていても、その愛情がきちんと子供に伝わっているかは別問題です。

「ちゃんと育児して育てたし、なんで私の気持ちが伝わらないの?」

とか私の母なら言いそう…

母からしたら当然に子供は可愛いし大切。

でもその気持ちは子供への態度や、言葉、行動で表現し続けないと子供には伝わらなりません。(子供の私が経験上断言します)

心でどんなに思っていても子供はエスパーじゃないからわかりません。

私は子供達のためにお出かけに連れて行ったり、一緒に遊んだり話を聞いたり…

ひたすら子供のために頑張ってる時でも

「こんなに愛情表現したつもりだけど子供達の心のコップは私の愛情で満たしきれてないなぁ どんだけ~~~

と感じることがあります。

母としては120%の愛情を注いでいるつもりでも、子供達の心のコップにうまく注げるのは何割なんだろう

まぁ120%全部がキレイに注げているわけではないと思います。

愛情表現のために特別なことをしたりお金をかけたりしなくても、

子供達に寄り添ったり

会話をしたり

「大好き」といっぱい伝えたり…

子供の愛情1が子供の心のコップにキレイに1注げるように、小出しにでも愛情を注ぎ続けたらよさそう^^

子供達が大きくなっても私との絆がしっかりできていることが私の目標

私の母は多分、私が小さかった頃に母を求めていたことや寂しい思いをしたこと、今でも苦しい気持ちになることに気づいていないと思います。

大人になった私は今更母との絆を深めたいとか、いっぱい褒めてほしいとかは思っていません。

私自身が二人の子供達の母なので、母として我が子達に同じ苦しい気持ちにさせないように惜しみなく愛情を注ぐこと、子供の心に届くような育児をすることを頑張るのみです^^

子供達が大きくなった時にも私との関係が良好で、子供達にとっての心のよりどころになれていたら十分^^

簡単には親子の絆が愛情いっぱいで固く深くなるとも思っていないけど、子供達が大きくなっても私の愛情で満たされている子供達を見れたら自分の中の寂しい気持ちもちょっとは昇華されるかも?(と思いながら子供達に愛情を注ぎ続けます^^)

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